コロンビア、あちこち!

南米のコロンビア、良くも悪くもこの所うわさがチラホラ、かれこれこの国に30年、仕事で行ったこの国のことを皆さんと!

カリブの町(その3):トルー スークレ県

                  


私がコロンビアを始めたところ。
 1987年、まだまだ青二才の技術屋がコロンビアに住み始めた町がここトルー、最初はカルタヘナへ派遣と言われて喜んでいたけど、ふたを開けたらそこから南へ100kmほど行った田舎町でした。

                  

 なんと何年にも前にここでは日本とコロンビア政府との水産プロジェクトが動いているではないですか。日本の援助で漁船や加工場があってそこで魚が取引されてました。
 その当時、今のようにコンピューターシステム化がされてないから全てマニュアル、首都のボゴタからでかい荷物抱えて現地への移動。スペイン語もたどたどしいのでドキドキもの。行き先を掲げたチェックインカウンター、その行列に並び順番待ち、航空券と身分証名称を出してボーディングパスをもらい、で、前と後ろにいる人をそれとなくチェック。待合室でその人たちが動けば自分も動く、実際登場アナウンスが100%聞き取れなかった時期なので。極端な話、トイレに行けばそれについていった記憶もあります。それでも、派遣前訓練のおかげでそれなりにスペイン語は使えると自負してました。
 さて、無事に飛行機に乗り込み1時間のフライト、モンテリアと言う近くの町の飛行場、でもトルーからは約3時間、タラップを降りるときに襲われたムッとする熱気「カリブに来たなぁ」と感じました。
  荷物を引き出し、表へ出ると私の名前を書いた紙を掲げたおじさん、配属先になる会社の運転手さん、握手をして荷物を積んでいざ任地へと。で、色々話されてガーンと、スペイン語が違うんです。全然解らない。ましてやかなりの田舎町なんで方言がまたひどい。
ともかく当初は苦労しました。最悪だったのは日本とのプロジェクトなので日本人の専門家がいたこと、何かあると日本語が話せてしまう。これは他国語を習得するのに大きな障害になりますので(私の場合だけだったかもしれませんが......)。
 とは言うものの、しばらくすればそれなりになってくる、で、思うんですがこれってすごいなと。中南米、メキシコからずーーーとチリ・アルゼンチン、ブラジル以外は殆ど同じ言語で話せるんですよ。日本だと下手すると岩手のおじいちゃんと鹿児島のおばあちゃんだと話しが通じなかったりするでしょう。それと、確かに違いはあるんですけど文化的なところもかなりの許容範囲内で似通っている。よくテレビのドキュメンタリーでやっていますけど、コロンビア人がアルゼンチンへ行ってスット入り込んで生活始めてる。そんなですよ。私なんかこの町になじむのに1年はかかったかな。


           

 さて、町の紹介。ここは昔から田舎のリゾートしてて、観光客が訪れてます。なもんでかなりホテル等がそろってます。それでもその当時は町の中にスーパーとかまともな銀行とかなく、大体一週間に1回、バスで1時間くらい行ったシンセレホというスークレ県の首都へ買い出しに行っていました。ま、最近はそれなりに整っています。

 海岸エリアはかなりきれいに舗装整備され、それなりに安全に海水浴ができるようにできてますね。ただ水温は高いです。その当時の同期の奴が来て、海に飛び込んで「うぁー暖かい」といったのを覚えてます。

  

  

上の写真の、海岸の様子とココナッツの葉を使ったかやぶき、私が住んでた時はかなりのフツーの家がそんな感じでした。実は理にかなっていて、風通しがよく太陽の明かりであまり暑くならないという事実。そして安いのでちょくちょく代えられるといったこともあります。
 かっこのいいボートのあるのは防波堤で囲ったマリーナ。この町は沖にあるサンベルナルド群島への観光基地でもあります。


     
SANTIAGO DE TOLÚ


サンベルナルド群島

 トルーのあるモロスキージョ湾、その湾口に存在する群島、サンベルナルド。カルタヘナのロザリオ諸島に並んでこの地域で観光客を呼び込む看板になってます。
 その中でも特筆はイスロテ島。世界で最も人口密度の高い島。数字で言うと125千人㎢になります。聞くところによると群島の中でここが一番害虫の被害にあいにくいところで人が集まってきたとのこと。何度も言っていつもびっくりしてました。

                    

        

      
Santa Cruz del Islote,Colombia


で、その他の島はというとこんな感じ

  

機会があればお見逃しなく!


配属先だったペストルー
 1980年、日本との技術提携のプロジェクトでできた水産会社。私が配属になった時は釣り漁船が10隻、エビのトロール漁船が8隻、加工工場、メンテナンス設備、水揚げ桟橋等が日本の水産無償資金援助でありました。
 その時の業務は加工工場のアドバイザー、と言っても何をしていてたのやら。ま、工場の効率化や魚粉の試作なんかもやりました。
 そもそもの釣り好き、ふと思って毎日早朝、仕事前に桟橋へ行って釣り糸を垂れ、ポコポコとタイヤら鰆などを釣り、それを塩干にしたりして冷凍。ボゴタの隊員会議の時などにもっていって皆で舌鼓を打ってました。
 この町に着いた初日、夕食にここのトロピカル料理の「サンコチョ・デ・ペスカド」を食べさせてもらいました。訳すと魚のシチュー。ま、日本からの派遣ですから「頑張って何か教えなければ」と意気込んでいたのですが、このサンコチョを一口食べて頭をガーーーーーンと殴られたように。美味いんです、とんでもなく。醤油もみりんも使ってないのに。「こんなのが世界にはあるんだ」と、これが実感。もっと勉強しなければ・・・・・と、この経験が後々いい方向へ向けてくれたのは事実の要です。
 さて、ペストルー。色々ありましたが細々となっても現存。それなりの水産会社として活動しています。



終わりに


 協力隊の活動が終わって、日本へ帰国。そして1年後に再びコロンビアへ、で住むのがメデジン。かの地トルーへは何回か行きました。そして配属先だったペストルーへ行くと必ず知り合いが出迎えてくれました。
 私にとって人生のターニングポイントになった所です。3年間の間に色んなことがありすぎました。良い意味でも悪い意味でも。見方を変えるとコロンビア」に定住するための準備をする場所になったとも言えます。
 未だにあの最初の晩に食べた「サンコチョ・デ・ペスカド」をこえるものにはあっていないし自分でもできませんね。

×

非ログインユーザーとして返信する